アダルベルト・リベラとマラパルテ邸

マラパルテ邸は、建築業界ではイタリア合理主義の建築家アダルベルト・リベラの傑作として知られる。1930年代後半の近代建築、モダニズムの美学を体現しながらも、地中海の大自然と見事な共存を果たした作品、というのが一般的な解説になろうか。映画好きな方であれば、ゴダールの『軽蔑』の1シーンに登場する別荘と言ったほうが、話が早いかもしれない。
(中略)
さて、この名作について昨年ちょっとしたスクープが報じられた。それによれば、作者は建築家アダルベルト・リベラではなく、施主であり文筆家のクルツィオ・マラパルテ自身であるとのこと。建築史に携わる者としては、聞き捨てならない内容だ。「マラパルテ:この別荘はわたしだけのもの―アダルベルト・リベラの役割を見直す書簡」と題された記事は、2009年7月10日の全国紙Corriere della Seraに載っている。ライターのステファノ・ブッチは、マラパルテ邸の作者がマラパルテ自身であり、実施においてはウベルト・ボネッティという建築家がサポートした事実を伝えている。以上はボネッティがマラパルテに宛てた書簡を根拠に論じられている。
ボネッティはトスカーナ出身の建築家とされるが、どちらかと言えば未来派の画家として知られる。そうであればこそ、マラパルテ邸の実施はボネッティの建築キャリアを大きくアピールする力を持つ。逆に、リベラの関与が全く否定されれば、これまでに近代建築史で解説され続けてきた“モダニズムの美学と自然環境の見事なコラボレーション”説が大いに揺さぶられる。ファシズム体制の最右翼であったリベラにとって、マラパルテ邸がキャリアに含まれていることは一種の清涼剤であり、それによって体制に奉じた建築家のイメージは、自然環境にまで配慮できたモダニストのイメージとして確実に和らぐのだ。
こうした見方は、イタリア建築のモダニズムがファシズムと共存関係にあったからこそ、一層リベラのキャリアにマラパルテ邸があってほしいという心理を誘発する。かくいう私も、マラパルテ邸にリベラの関与があってほしいと願う一人である。もっとも、その思いは体制やモダニズムの問題とは無関係に、たんに一人の作家がわかりやすい一貫性によって論じ切られてしまうこと、一人の作家に潜む神秘性が失われてしまうことに対する懸念にすぎないのだが。
[『地中海学会月報』332号草稿の一部を抜粋]