コーニス/フレーム論

薄型テレビや液晶ディスプレイが登場してからここ10数年のデザイン変遷を見ていると、画面を縁取るフレームが確実にその存在感を薄くしていることに気づく。このフレームは今のところ構造強度上ぎりぎりのところで残されているが、アニメーションに描かれる近未来のディスプレイになると、もはやフレームは存在せず、半透明の画面だけが宙に浮いたような形になっている。究極のミニマリズムが適用されれば、ディスプレイは画面のみに意味があり、周囲の縁取りは用なしというわけだ。
同じ現象を壁掛けの絵画に見ることもできよう。ルーブルやオルセーなど著名な美術館で見ることのできる名画の多くが、壮麗な装飾の額縁で縁取られている。けれども、いわゆる現代アートになると額縁は薄くシンプルになってゆき、最終的に消滅している場合も多い。絵画が額縁のなかにおとなしくおさまっていられない時代がモダンだとすれば、逆に、古典主義の時代は額縁におさめられた安定した世界を求めていたと言えよう。建築もしかりである。
実に、ルネサンス建築のファサードは安定した堅牢なフレームで囲まれている。下部は安定感のある石積み風、両側面は柱もしくは石積み装飾によって、上部はコーニス(装飾要素として、とくに「軒蛇腹」とも)と呼ばれる軒によっておさえられる。ローマにあるパラッツォ・ファルネーゼ(現在はフランス大使館として使用されている)は威風堂々たる建物で、広場からは実に安定感のあるフレームを備えたファサードを眺めることができる。三層構成のファサードの両端は、切石積みのように仕上げられているが、切石のひとつひとつを丁寧に見ると、一層目が一番大きく、二層、三層と徐々に小さくなってゆく。この安定感こそ古典主義が前提とする美に他ならない。
同様に最頂部のコーニスも、ファサードを安定的に見せるフレームとして欠かせない要素、まさに額縁の役割を担う。このことは、20世紀の近代建築がその存在を疎ましく思っていた事実に見て取れる(…)
[『積算資料』2010年3月号草稿の一部を抜粋]