オベリスクとヨーロッパ都市

ローマの街を歩いていると、大きな広場の中心に垂直のランドマークが建てられていることに気づく。(…)もともとエジプト神殿に付随していたオベリスクの大半が、現在、なぜ欧米の各都市に散在しているのだろうか。その象徴的な形の魅力か、長大な石材の価値か、あるいは、古代エジプトの持つ神秘性か、ときの権力者たちはオベリスクを戦利品として自国に持ち帰るようになった。その歴史はローマ時代にまで遡る。実際、現存する古代のオベリスクはローマに一番多く、13本ある。そのほとんどが、帝政期にもたらされたものである。だが、必ずしも広場の中核として据えられていたわけではない。オベリスクが都市広場の中核を担うようになったのは、16世紀後半からである。教皇シクトゥス5世は、カトリックの総本山ローマの教権を盤石なものとするため、ローマの都市再建を図ったのである。
この経緯で主要な広場が整備され、現在われわれが見るようにオベリスクが再設置されたのである。その最初のプロジェクトが、サン・ピエトロ広場のオベリスクだった。建築家ドメニコ・フォンターナがプロジェクトの任に当たり、1586年に据え付けが完了した。シクトゥス5世の命を受け、フォンターナがローマに再配置したオベリスクは、他にもポポロ広場、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂といったローマの要所を占める。以降、歴代の教皇の命によってオベリスクが都市景観にアクセントを添えるように置かれた。ナヴォーナ広場に建つオベリスクは、バロックの巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによる泉水の中央にそびえている。古代エジプトの象徴であったオベリスクは、まったく異なる文脈のなかで、キリスト教都市ローマを彩ったのである(…)
[『積算資料』2010年7月号草稿の一部を抜粋]