建築論小史:ウィトルウィウスからポスト・モダンまで

ウィトルウィウスの建築論は、紀元前一世紀当時の建設に関する広範な知の集成でありながら、一建築家による理想的建築の指南書でもあった。ウィトルウィウスのあと長らく建築論は停滞するが、再び活気づいたのがルネサンス時代である。ウィトルウィウスの書に刺激を受けつつも、〈建築はかくあるべし〉という理念的の提言の側面が強くなり、古典主義という枠組みのなかで建築の理想があれこれと模索されるようになった。こうした理想追求はその後バロック時代まで続いてゆくが、それも18世紀に転機を迎える。啓蒙主義における批判的まなざしが、過去の建築的理想に対する疑念を本格化させたからである。
(…)こうして啓蒙主義以降の建築論は、基本的に過去の建築的誤謬を指摘することで、それに代わる建築的理想を提示することとなった。M.A.ロージエによるバロック建築批判は、「原始的な小屋」に建築の真のモデルを認めた結果であり、A.W.N.ピュージンによる古典主義批判は、構造を包み隠さないゴシック建築を真なる表現とした結果であった。A.ロースは文化的、経済的、倫理的観点から装飾を断罪し、同時代のアール・ヌーヴォー的造形を批判した。そして、ル・コルビュジエは過去の歴史的な様式をすべて否定すべく「マシン」を時代が従うべきモデルとした。W.グロピウスによる様式からの脱却も、世界共通の科学技術に依拠することで展望された(ここにグロピウスが唱えたのは「国際建築」であって、のちに歴史的文脈に回収される「国際様式」ではない)。20世紀後半になって、ル・コルビュジエやグロピウスらの主張が世界に浸透するや、今度はそのモダニズムが批判の的となる。R.ヴェンチューリは、モダニズムが強調していた「純粋」、「明快」、「整合」といったフレーズを、「複合」、「曖昧」、「対立」という対極の価値観で覆してみせた。また、C.ジェンクスが一般に広めた「ポスト・モダン」という用語も、モダニズムがもはや過去の産物であるという認識を典型的に示すものである。ポスト・モダンを標榜する建築論は、現在が近代のなしえた成果の延長上にあることを認めつつも、さまざまなレベルでモダニズム批判を展開したのであった。
[『近代建築論講義』草稿の一部を抜粋]