折衷主義とは?

過去のあらゆる建築が様式のヴァリエーションとして理解されるようになったのは19世紀のことだが、この新しい分類法は当時の西洋建築の方向性も大きく決定づけた。産業革命後の社会は人や物の移動が盛んになり、入手できる情報量も圧倒的に増えたから、多種多様な建築を地域および時代別に分類する「様式」という概念は、まさに近代という時代が求めていたものだった。過去に関する際限のない情報が手際よく分類された後に、様式選択という可能性が浮上したのである。建築家たちは、当時のさまざまな要求にしたがって自らの選択を正当化する必要があった。すなわち、様式選択には特定のイデオロギーが込められたのである。たとえば、ゴシック様式はキリスト教文化にもっともふさわしい表現であるとか、ルネサンス様式は理知的で高尚な表現であるとか、バロック様式は祝祭性に富む表現であるとか…。このように様式の復興は、歴史文化的ストックを掘り起こし、装飾とイメージのレベルで時代の要求に合致させる操作にほかならない。
(…)ある建築の機能や用途にもっともふさわしい様式を選び出す技能こそ、19世紀の建築家に求められた大きな役割であった。様式選択の基準は個々の建築家によって違いはあったが、大きな傾向としては公共建築に古典主義系統の様式、宗教建築に中世様式、庭園内のパヴィリオンや娯楽施設にはヨーロッパ以外のエキゾチックな様式が好んで使われた。場合によっては、一人の建築家が異なる様式のヴァリエーションを器用に使い分けることもあった。特定の様式にこだわらず、多種多様な様式に中立的に向き合うような態度を、とくに折衷主義と呼ぶ。
だが、建築家の創作意欲は建物に応じて様式を使い分けるだけでは飽きたらず、ひとつの建物のうちに異なる様式の細部や装飾を混ぜ合わせる試行へと向かう。そうした建築家は、複数の様式を混ぜ合わせることこそ他の時代にはない19世紀特有の創造行為と考えた。設計理論としての折衷主義はこうして生まれた。
[『建築学大百科』草稿の一部を抜粋]