恩師・鈴木博之

ここだけの話であるが、私が鈴木研究室に入ったのは建築の歴史をやろうと思ったからではなく、建築という分野でただ考え事がしたかったからである。今思えば、20代前半という時期は若さから来る内なる問題が自分のすべてであった。同時に、時代としてもちょっとした現代思想ブームがあったように思う。私が本郷に進学後、鈴木博之にはまったのは建築学科図書館でのことである。『建築の世紀末』は先生初の単著書であるが、私はこの序文に魅せられ、非常に短絡的ではあるがこの先生のもとで考え事をしようと思ったのである。16年前、私は思想家・鈴木博之に弟子入りしたのだった。
(...)修論を書き終えて、私は先生に先ほどとはまたちがった格言を授かっている。「泉鏡花を読め!」である。この言のこころは、あきらかに私の修論がガチガチの論文調で、お世辞にも麗しい文体ではなかったところに発している。だが、私は先生に相変わらず思想家としての姿を見ていたのであり、泉鏡花発言はちょっとしたカルチャー・ショックだった。私のなかで鈴木博之は、『建築の世紀末』でサルトルやヴァレリーを論じた思想家であり、『建築は兵士ではない』で現代建築を斬りまくっていた鋭敏な批評家であった。当然といえば当然なのだが、図書館で私がはまった鈴木博之はけっしてそのままの姿では私の前にいなかったのだろうと思う。すなわち、思想家・鈴木博之は、音楽評論家、文芸作家の顔も同時に持ち合わせており、とくに90年代においては、確実に東京論者としての役割を強めていた。
無知な私は、研究室に在籍してしばらくの間は、目の前の師を十数年前の著者として頑なに見ていたように思う。こうした先生の過去の足跡と、けっして歩みをとめることのない進行形の先生の距離を少しずつ埋めるように理解していったのが、私の研究室在籍期間だった。
[『UP』2010年1月号草稿の一部を抜粋]